大人のスキップ

日々のことや好きなものについて

『花束みたいな恋をした』を観たことなど

何度かここにも書いていますが、どんなに小さいことでも良いので、ひと月にひとつは経験したことのないことをやってみる、というのを2年くらい前から目標にしている。同じことの繰り返しで、いつの間にか過ぎていく時の流れへの僅かばかりの抵抗である。先月は人生で初めて宝くじを買った。売り場前の行列を眺めながら、夢を買うのだと人々が口にするそれを買ってみようとふと思い立った。いざ買うとなってみると、そもそも買い方もいまいち理解していないことに気がつく。ネットで色々と調べていると、数式やらグラフやらを添えてパターン毎の当選確率を丁寧に説明してくれているサイトや、結果予想をしているらしい有料ブログまで出てきた。競馬などであるのは知っていたし、そちらの方はまだ納得できるのだけれど、宝くじの予想ってなんだ。ほう、そんな世界もあるのだなと謎に関心しつつ、3,000円分だけ購入した。当たるわけがないと思っていながらどこかワクワクしている自分がいて、「夢を買う」の意味を実感した。結果、そのワクワクと300円だけを得た。気軽に飲みにいける状況ではないので、今月はいつかやろうと考えていたコーン茶ハイの自宅生成のために、コーン茶を大量に仕入れた(勝手な目標なので、こんなしょうもないことでもいいのです…)。初めてアルコールと混ぜ合わされていない普通のコーン茶を飲んだが、普通に美味しかった。さて、来月はどうしようか。

土曜日、昼過ぎに髪を切る予定があるだけだったのだが、平日よりも早い時間に起きてしまったので、『花束みたいな恋をした』を新宿のTOHOシネマズまで観に行った。直前の予約だったが、朝イチの回だったこともあって空いていた。主人公の麦、絹と同時期に20代前半を過ごし、(全くイコールではないが)同じようなカルチャーに触れてきた自分には、あまりにも深く刺さり過ぎた。数々のポップカルチャーに纏わる固有名詞の列挙については、その畑じゃない人が観てどんな感想を抱くのか気になる。たとえそれらが分からずとも、普遍的で素晴らしい作品だと私は思いますが。特別な出来事が起きるわけでもなく、ある程度結末も予想ができているのに、退屈せずに観ていられるのは役者の魅力はもちろん、脚本の凄みなんだろうなと思う。あとセリフの強度も凄い。いい映画初めになったな〜と、きのこ帝国「クロノスタシス」やSMAP「たいせつ」を聴き、余韻に浸りながら散髪へ向かいました。

私の通っているお店では毎回、髪を切った後、頭から肩にかけて軽くマッサージをしてくれるのだけれど、鏡の前に座った状態なので、視線を何処にやれば良いか迷う。会話をしながら髪を切られているときとは違って、グニグニと揉まれた顔で無言で見つめるのもなんだか気まずい。そんな訳で今回も目を瞑っていると、「めちゃくちゃ凝ってますね」と肩を揉んでいる美容師さんに言われた。「そうなんですよ〜在宅勤務でパソコンに向かいっぱなしなんでね〜」と返しながらも、肩が凝っているという自覚がなかったので内心ビックリした。というか"肩が凝る"というのが未だによく分かっていない。なんか疲れてるなと感じることはあるのだけれど、これが他人の言うところの"肩が凝っている"状態なのかと言われると、そうではない気もする。単に程度の軽い凝りしか経験したことがないだけなのでは…などとグルグル考え出しそうになったが、人に凝っていると言われたならば、それは凝っているのだ。とりあえず来月は、美容師さんに勧められた人生初の整体か接骨院に行ってみようと思う。

帰り道、古本屋とhotel koe tokyoで開催されていたボブa.k.aえんちゃんの展示に立ち寄り、『MOTHER MUSIC REVISITED』のアナログ盤を買って帰った。帰宅して『花束みたいな恋をした』のパンフレットを読む。デザインも可愛いし、インタビューや写真から天竺鼠ワンマンライブのチケットまで、内容の充実っぷりが凄い。余談ですが、公開日同日に天竺鼠の無観客無配信ライブが開催されていて、不思議な因果を感じました。パンフレットを読んでいると余韻がぶり返してきてしまったので、とりあえず公式のインスタグラムを見たり、今村夏子さんの「ピクニック」を読んだりした。観賞後もしばらく登場人物のその後に想いを馳せてしまうという体験は、とても久し振りな気がする。まだ『愛の不時着』も『マンダロリアン』も観終わっていないけれど、未見のものも含めて、坂元裕二さんの過去作品群を観ていこうと思います。

こちらあみ子 (ちくま文庫)

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