大人のスキップ

日々のことや好きなものについて

自炊とテトリス

私は今、自炊の連鎖の中にいる。自粛期間が始まってからというもの、多分に漏れず自炊に割く時間が増えた。始めは今まで通り、焼きそばや野菜炒めを作る程度だったが、次第にそれでは満足いかなくなる。というか単純に飽きてくる。それで、レパートリーにない料理や少し凝った料理に挑戦してみようとなるのだけれど、必然的に今まで買わなかった食材や調味料を買うことになる。一人暮らしなので、その食材を一度に使い切ってしまうことはそうそうない。何かしら中途半端に残るのだ。そうなると次は、その食材を使う料理を調べて、足りない食材を買い足す。そしてまた残った食材を使う料理を調べて…といった具合に連鎖していく。これはもしかすると、日常的に自炊をする人にとっては当たり前のことなのかもしれない。しかし、今まで最低限の自炊しかしてこなかった私にとっては、少し新鮮で面白い。なんだかテトリスみたいだなと思った。上手いこと全消しすることって可能なのだろうか。少なくとも、全部が面倒くさくなって冷蔵庫の食材を全てダメにしてしまうまで、この連鎖は続くだろう。(写真は力作のパエリアです。)

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長期休暇の最終日はいつも決まって寝付けない。このイレギュラーな状況においてもそれは同様だった。『爆笑問題カーボーイ』を流しながら眠くなるのを待った。冒頭の語りを聞いていたら、むしろ眠気が飛んでしまった。社会構造そのものと多方面へのまなざし、想像力。とても思慮深く、なにより優しい人なのだということが痛いほどに伝わってきた。シリアスな話の途中でもボケずにいられない、照れみたいなものも含めて、私は太田光という人が好きだ。これは正しいか、正しくないか、みたいな話ではない。その後、どうやって眠りについたのかは覚えていない。間違いなくきちんと働いてはいるのだけど、あやふやになってしまった休みと仕事の境目を漂っているような気分で、あっという間に2日間が過ぎた。ぼんやりしていたせいか、この2日間、育てている豆苗を陽の当たらない洗濯機の上に放置してしまった。気づいた時には、明らかにひょろ長く伸びていた。理科の教科書に載っていた植物の実験をなんとなく思い出した。その日、ペペロンチーノに入れて食べてやった。

 

昔よく聴いていた曲をふと聴きたくなって検索すると、サブスク解禁しておらず、もどかしい気持ちになることがたまにある。先日もbloodthirsty butchersの「7月」でそれになった。そんな訳で、iTunesからiPhoneへ曲を取り入れる作業に取り掛かった。部屋の整理をすることは過去と向き合うことだ、なんてことを前回書いたのだけれど、iTunesのライブラリを片っ端から眺めるのはその極みだ。特に音楽というのは、聴いていた当時の記憶と深く結びついているので、色々なことを思い出してしまう。高校時代、雨の日は特に学校へ行くのが憂鬱で、くるり「ばらの話」、神聖かまってちゃん「ベイビーレイニーデイリー」、monobright「雨にうたえば」といった曲を聴いて心を落ち着けていたこと。隣町へ向かう途中にある谷(と呼んでいた急な坂道)を自転車で乗り切る時はいつも、とにかくBPMの速い曲を流してペダルをかっ漕いでいたこと(危ないのでやめましょう)。昔の記憶が呼び起こされたせいか、その日は懐かしい人たちの夢を見た。よっぽど楽しかったのか、次の日は昼過ぎに目を覚ました。

いろんな人たちがアイデアと工夫を凝らして、この状況下でエンタメを生み出し続けてくれている。その数が膨大で全然追っつけないのだけれど、嬉しい悲鳴だ。最近、気が付くとジャルジャルのリモートコントの動画を見たくなっている自分がいる。RYUTistのリモートライブは参加ゲストも贅沢でとても良かった。シンリズムとの「センシティブサイン」、柴田聡子作曲の「ナイスポーズ」の流れにグッときてしまった。「ナイスポーズ」、やっぱりめちゃいい曲だ。歌の譜割が気持ちいい。ツイッターで流れてきた劇団テレワークの動画がとても好みで、「あ、好き…」となってしまった。生活音や人々の声がリズムを生み出していく様に、大好きな口ロロの「いつかどこかで」を聴いた時の感じを思い出したからだろうか。本公演の方もちゃんと観ておきたいです。『カメラを止めるな!リモート大作戦!』もまだ観られていないし、アーイソガシッ。

ラランド、さらば青春の光のラジオを聴き、録画したバラエティや映画を観ていたら、あっという間に週末が終わった。早くこの状況が終わって欲しいと思う自分がいて、間違いなくそれが大部分を占めているのだけれど、その一方で、今の状況を楽しんでいる自分もいるし、自宅勤務が続けばいいのにと思ってしまう怠惰な自分もいる。人間って複雑だ。