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日々のこととか

日々のことや好きなものについて

『四畳半神話大系』

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四畳半神話大系』という作品をご存知であろうか。森見登美彦による同名小説を原作とした、アニメーション作品である。監督は『夜は短し歩けよ乙女』、『夜明け告げるルーのうた』、『DEVILMAN crybaby』などで今一層話題の湯浅政明である。そんな監督の作品であるというだけで今作を観る理由は十分かもしれないが、なぜ今この作品の話なのかというと、少し前に一部で話題になっていた小沢健二の『流動体について』と『LA LA LAND』の共時性が関係しているその共時性については劇場に足を運び、この目で確かめてきたのだけれど、観てびっくりである。偶然にも、同時期に再放送された今作も、それらとゆるやかにリンクしているのではないか。そこで、再放送が終わりひと段落した今、筆をとっているわけです。本作の特徴は、その独特な語り口と実験的とも言える斬新なアニメーション、そしてアジカンのジャケットなどで知られる中村佑介によるキャラクターデザイン、とまあ決してとっつきやすい作品とは言えないが、ハマる人にはどストライクだろう。かくいう私もそのひとりだ。とはいえ、ストーリー自体は誰もが経験するような大学生活にまつわるもので、共感できる部分もあるのではないだろうか。共時性云々を抜きにしても面白い作品ではありますが、『流動体について』、『LA LA LAND』と併せて『四畳半神話大系』も是非。そして、どうせ観るなら最終話まで見届けて頂きたい!

以下ネタバレあり。

四畳半神話大系 (角川文庫)

四畳半神話大系 (角川文庫)

 

率直かつ乱暴に言ってしまえば、今作もまた、平行世界についての話だ。基本的に1話完結のスタイルで、毎回主人公である「私」が、大学入学時に所属するサークルを選択するところから始まる。要するに、所属するサークルの選択によって変化する平行世界の物語だ。薔薇色のキャンパスライフを求める「私」は、奇人たちに囲まれて過ごす不毛で退屈な日々に嫌気がさし、もし他のサークルを選んでいればもっと充実した大学生活が送れたに違いない、と後悔の念を抱く。その視線は、ありえたかもしれない平行世界を追い続ける。そうやって繰り返される平行世界の物語を経て迎える最終話。それまでに散りばめられてきた要素が収束し、「私」の成長とともにようやくひとつの結末に辿り着くというカタルシス!1クールかけて放送するテレビアニメという媒体ならではであり、素晴らしい改変である。原作小説は勿論面白いのだけれど、個人的にはこのアニメ版の構成が好きなのだ。

非常に見事な最終話なわけだが、その中でもとりわけ好きなシーンがある。「私」が無限に広がる四畳半世界を彷徨う中で、現実世界に想いを馳せる場面だ。外の世界に出ることは叶わず、食べるものは魚肉ハンバーグとカステラしかない状況下で「私」は、食べ物ややりたいこと、周囲の人間のことを夢想する。

生協の薄い味噌汁。温泉卵。卵焼き。ほうれん草のおひたし。鯵の塩焼き。キンピラゴボウ。納豆。鰻丼。親子丼。牛丼。他人丼。かやく御飯。ひじき。鰤の照り焼き。鮭の塩焼き。天津飯。焼き豚ラーメン。卵とじうどん。鴨なんばん蕎麦。餃子に中華スープ。鶏の唐揚げ。もちろん焼肉。カレー。赤飯。野菜サラダ。味噌をつけた胡瓜。冷やしたトマト。メロン。桃。西瓜。梨。林檎。葡萄。温州蜜柑。

小説 最終話「八十日間四畳半一周」

もしここから出られたら
カフェコレクションのたらこスパゲッティを食い
猫ラーメンをすする
銭湯の広い湯船にざぶんと浸かって
河原町で映画を観る
蛾眉書房の親父とやりあい
大学で講義を聴くのもいい
樋口師匠に弟子入りして猥談に耽り
羽貫さんの地獄のエンドレスナイトを味わい
城ヶ崎氏の意味不明な情熱映画につきあい
秘密組織にも身を置いてみよう

アニメ 最終話「四畳半紀の終わり」

食べ物の名前や、些細な行為の列挙によって浮かび上がる、閉じられた世界では決して味わうことの出来ない現実世界の豊潤さ。不毛とも思えた現実を優しく包み込み肯定する。

サッチンと繋いだ手の温もり
あの時の朝の光 特別な感じ
ドライブ 寿司 首都高の灯り
渋谷 カーティスのレコード 遠くの子供の声
真夏のビール ピアノの音色
正月の西新宿のビル街 モノポリー
海 クラブ セックスの後の蝉の声
真夜中のコンビニ

という具体性を持った言葉の羅列でもって、現実世界における喜びを、なんとなく、しかしはっきりと提示してみせた口ロロの「Tonight」を連想する。(こちらも大好き!)

 

とまあ結果的になんやかんやあって四畳半世界から脱出した「私」は、過去の選択への後悔はそのままに、過去のあやまちを肯定するまではいかずとも、大目に見てやれるようになる。それこそ四畳半が六畳に変わる程度の、ほんの些細な成長ではあるが、ありえたかもしれない平行世界に想いを馳せつつ、それらに手を振り、"今此処にあるもの"に目を向け始めるのである。

我々は運命の黒い糸で結ばれているというわけです

という小津のセリフは、「私」を縛る呪いのようなものとして繰り返される。しかしそれは、どんな道を選ぼうと、いつかは必ず真に理解し、心を通わせることのできる存在に出会えるのだという、現実世界を生きて行く上での希望でもある。その希望は、我々の視線を前へと向けさせてくれる。

僕たちの現在を
繰り返すことだらけでも そう
いつか君と出会おう
そんな日を思って 日々を行こう

「迷子犬と雨のビート」