大人のスキップ

日々のことや好きなものについて

野良猫とお婆さんの話

近所の公園には一匹の黒い野良猫が住み着いている。もう少し前はもっと何匹もいたような記憶があるのだけれど、最近はその一匹しか見ない。そいつの左耳は少し欠けている。恐らく喧嘩でもして怪我したのだろう。猫は割と好きなのでコミュニケーションを取ろうと試みたことも何度かあったが、近づくとすぐに逃げ出してしまう。そういや見た目も孤高の人ならぬ猫という感じがしなくもない。

しかしそいつにも気を許す人がいたようだった。おそらくこの近所に住んでいるお婆さんだ。いつも同じ場所、公園の側のコンクリートの腰掛け。そこで彼女が膝の上にその野良猫を乗せ、何をするでもなくぼんやりと辺りを眺めている姿をよく目にした。雨の日に傘をさしながらその野良猫にタオルケットを掛け、膝に乗せている光景を見たこともある。水や餌を与えたりもしていたようだ。互いに互いを必要としているという感じだった。

それがどうしたことか、いつもの時間に通りかかってもその姿が見えない。野良猫は相変わらずそこにいて、一人寂しそうに佇んでいる。そんな日がしばらく続いた。普段特別意識したことはなかったけれど、見慣れない光景になんとなく落ち着かなさを覚える。彼女に何かあったのだろうかとか、その野良猫はちゃんと食えてるんだろうかとか、色々考えてしまう。全く同じ場所で意地悪そうなお婆さん(完全に偏見)がタバコをふかしているのを見たときは、そのあまりのタイミングの良さ?から、知らないところで何か物語が繰り広げられているのでは、という妄想をしてしまったりした。

そんなくだらない妄想を知ってか知らずか、彼女はある日あっさりと姿を現した。いつもの腰掛けには、あのお婆さんがパートナーと思われるお爺さんと一緒に座っており、その傍らにはあの野良猫が鎮座していた。野良猫の毛並みがいつもより乱れており、やっぱり何かあったのではと思ったが、実際のところは知る由もない。たまたま自分が見かけなかっただけなのか、それとも久しぶりにそこを訪れたのか、結局分からず終いだけれど、やはりこの光景がしっくりくる。安心したような、ちょっとがっかりしたような気持ちを残して、その野良猫とお婆さんを巡る物語もとい勝手な妄想はあっけなく幕を閉じたのだった。

というだけの話。

最近のくらし

 街行く学生たちの制服が涼しげな夏服へと変わっていく。夏の訪れ。日が長くなってきたと感じる毎日だけれど、夏至を過ぎてから2週間以上経っている。ここらへん、現代の季節感とずれてしまっていて、毎度のことながら違和感を感じる。

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バイト先の先輩から自転車を貰った帰り道、近所を軽くサイクリングした。坂道を立ち漕ぎで登って汗ばんだ体を、坂道を駆け下りていくときの風が撫でていく感覚がやけに懐かしく、たまらない気持ちになった。というのも自転車に乗るのは、大学一年生の夏、趣味を通じた友人らと鎌倉に泊まり込みで遊びに行った時以来なのだ。ふとした思いつきで宿の自転車を借り、鎌倉から江ノ島まで行ったのだった。その時の、山道を抜け、海岸沿いの道に出たときの開放感を思い出した。久しぶりに触れる空気、感覚が昔を思い出させる。季節の変わり目は特に。

先日誕生日を迎えた。20歳になるまでは多少なりの喜びなんかもあったわけだけど、今となってはただ数字が増えていくだけである。むしろ、その数字に見合っただけの中身ある人間になれているのだろうか、などと考えて不安にもなる。とはいえ、家族や友人から祝ってもらえる、というのはいくつになっても嬉しいもので、ただただ感謝である。誕生日当日の朝は、レポート課題に徹夜で取り組んでおり、最悪の始まりだった。少し仮眠をとり、大学に行きレポートを提出。山手線一周分の睡眠をとって時間を潰した後、吉祥寺へ。夜は井の頭公園でお酒を飲み、久しぶりに会った友人や後輩と話した。結果オーライ良い日であった。

6月はバイトを全然していなかったので、金欠に悩まされる日々だ。なけなしのバイト代も夏休みに向けて貯金しなければならないので、部屋の片付けをしつつ、もう聴かなくなったCDやゲームソフトを集めて売ることで生活をしている。どうせ大したお金にはならないと 思っていたが、今流行っているバンドが昔出していたアルバムの初回盤などはそれなりに高く売れるので馬鹿にできない。昔好きだった物を売ってしまうのは少し寂しいけれど。そうして手にしたお金を手に街をブラブラ。Magic, Drums & Loveや山田稔明のアルバムなど欲しいものは多いが、財布の紐は固く購入には至らず。安く済む娯楽を求めた結果ツタヤへ。100円で名作を観られる世界で良かった。折角だから夏っぽい映画でも、ということで『ウォーターボーイズ』と『学校の怪談2』を借りる。

ウォーターボーイズ

青春映画の金字塔。文化祭。近所の女子校。男子校のどうしようもなくも愛しい感じを思い出してしまう。音楽のチョイスも素晴らしい。何よりテンポが速く、全部で90分ほどなのが最高。そのうちドラマの方も見直したいなあ。

学校の怪談2

少年時代は『USO!?ジャパン』なんかを観て、都市伝説や怪談に心躍らせていた訳だが、意外にもこのシリーズは未見だった。評判には聞いていたが、いやはや素晴らしきジュブナイル映画ではないか。怪談というモチーフの下、少年少女たちの一夜の冒険を見事に描いている。独特なセリフが飛び交う会話劇は、生き生きとしていて面白い。 ポケモンの映画を観に行ったとき、上映前に『学校の怪談4(だったかな?)』の予告が流れて「なんでポケモン観に来てるのにホラー映画の予告を観なきゃならんのだ」と子供ながらに思ったものだが、今思えば少年時代にこのシリーズを観ていなかったことが悔やまれる。

ポケモンの映画といえば、先日『ミュウツーの逆襲』を観たのだった。昔とても感動した記憶があったので、少し期待して観たが、今観ると、正直なところそこまで良いか?という感想だった。我々は何のために生きるのかだとか、人間がポケモン同士を戦わせることについてだとか、同じ生き物同士で何故戦わなければならないのかだとか、子供向けの映画とは思えないテーマを取り扱っている点に関しては面白いと思うけれど、話の構成や展開の仕方の部分で微妙に乗り切れないところがある。上映時間の短さ故であるとは言え、子供向け映画の域を出ていないように感じる(子供向けだからそれで良いんだけれど)。しかし、小林幸子の「風といっしょに」が流れるエンドロールは今観ても心動かされる。同時上映の『ピカチュウのなつやすみ』もついでに観たが、これこそまさに子供向け。こんな夜中に何を観てるんだ俺は、という気持ちになったが、サントラは最高だ。ポケモンの曲には大人の目線が入った曲が多いと感じるのだけれど、子供と一緒に観るであろう大人の心を掴むという意味で上手いやり方だなと思う。あと以前にも書いたけれど、「プール(11才の夏)」という曲が隠れた名曲なのだ。

作曲者の田中宏和さんがこんなツイートをしていたのを先日発見。彼の言う通り、本編では全く使用されていないが、サントラの中で不思議な輝きを放っている。

なつやすみは むちゅうで ぼうけんの まいにちなんだ

こどもたちが あちこちを たからじまに かえてしまうのさ

「ピカピカまっさいチュウ」

個人的にこのサントラCDが纏っている輝きは、ザ・なつやすみバンドの「サマーゾンビー」や「S.S.W. (スーパーサマーウィークエンダ―)」などのもつフィーリングに通じるところがあると感じているのだけれど、気のせいだろうか。

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そんなこんなで、大学の授業をちょろっと受けて、帰りに友達と飲んだり、趣味に没頭したりと残りわずかなモラトリアムを満喫しているわけだが、どこか満たされない気持ちがある。就活も無事終わりを迎えることができ、精神的にも肉体的にも解放されたはずなのだけれど、待っていたのは天国でもなんでもなく、きちんと卒業できるのかという漠然とした不安や、目の前のレポート課題に悩まされる、以前と変わらない日々だ。そんなことは至極当たり前のことだし、本当に大変な人が聞いたらふざけんなと思うだろうけど、新学期や夏休みに根拠のない期待をして、現実にガッカリしてしまうアレのようなものだ。きっと、 酷く悩んだ過去の日々は終わってみれば大したことはなくて、待ち焦がれた未来の日々は始まってみればそれほど輝いていない。そんなものなのだろう。こうやって書くと誤解されるかもしれないが、決して今が楽しくないわけではない。結局はないものねだりなのだ。それに、物足りなさを感じている日々も今の自分には分からないだけで、何年後かに振り返ると眩しいほど輝いていたりするんだろう。きっとそういう風にできているのだ。思い出はいつも綺麗だけど、てヤツだ。

『Life Is Strange』選択をするということ

 E3やPSVRに関する動画を見ていて久しぶりにゲーム欲が高まったので、少し興味があった『Life Is Strange』というゲームをプレイした。

もし他の選択肢を選んでいたらどうなったんだろう、どういう会話になったんだろう、というのは、ゲームをプレイしていて度々思うことだ(ドラクエなんかは何回でも試すことが出来るけれど)。過去の選択をやり直す。それがこのゲームでは出来てしまう。

ストーリーは、時間を巻き戻す能力に目覚めた主人公がその力を駆使し、街で起きている事件の真相を暴いていくという、悪く言うとありがち、良く言うと王道な内容。作中には、リスペクトしているであろう『バタフライエフェクト』などの映画のタイトルが多く出てくる。しかし、このゲームにおいてタイムリープは、あくまで物語を演出する要素のひとつとして位置付けられており、その概念や影響についての科学的説明等は深くはされていない。

ゲームを進行していく中でプレイヤーは多くの選択を迫られ、それによってストーリー展開(大筋は変わらない)や人間関係といった状況が変化していくのだが、先程述べたように、このゲームでは時間を巻き戻す能力が使えてしまう。しかもボタンひとつで。その上選択肢は、どれが良いと明確に判断できないものが多いため、思わず何度もやり直してしまう。制作側の思うツボである。全プレイヤーの選択がオンラインで共有され、その比率が確認できるようになっており、これを見るのがまた面白い。クリアまでのプレイ時間もそれほど長くなかったので、RPGを最後までクリアできなくなった今の自分には丁度良かった。音楽や映像の演出もなかなか。

 

人生は選択の連続とはよく言ったもので、「今日の昼飯を何にするのか」といった小さいものから、「どの会社に就職するのか」といった大きいものまで、人は生きていくうちに幾度となく選択をする。そしてそれには何らかの犠牲や後悔が伴う。時間を巻き戻すことができたら、過去をやり直すことができれば、というのは自分を含め誰もが一度は考えることだ。しかし実際にそれが何度でも出来てしまったら、文字通り過去に囚われ、いつまでも未来に進めないままになってしまうのではないだろうか。現実はゲームのように、決められた時点で、決められた2つ、3つの選択肢からひとつを選択すれば良いという訳ではない。選択肢は無限に存在しており、その中から自分なりに答えを見つけていく必要がある。それを納得のいくまでやり直していたらキリがない。やり直しがきかないからこそ、ある程度諦めも付くわけだし、前を向けるのでは、と思う。とは言いつつ、1日限定とかで能力欲しい、というのが本音である。

常に後悔しない選択ができれば最高だけど、そんな訳にはいかないし、後悔と上手く付き合っていかねばならんのです。今まさに大学4年生という大きな選択をする時期にあるので、色々と思うことがあったのでした。ちなみにこの『Life Is Strange』、PC版は現在セールで安くなっているらしいのでお暇でしたら。

 

 

近頃のこと

 一時期の忙しさもそれなりに落ち着いてきて、嵐の前の静けさといった感じの今日この頃。見ないようにしていた掲示板を覗いてしまったりして、気持ちの浮き沈みが激しい。それにしても、時間ができると余計なことを考えてしまいがちだ。先行きのことだとか、自分はただ頑張ってるポーズをとってるだけなのでは、とか。すこし忙しいくらいの方が丁度いいのかもしれない。気候的には夜が気持ちいい時期なので最高。意味もなく遠回りして帰ったり、家の前の公園のベンチでくつろいでから帰ったりしている。小川純の『ロマンティックな予定 死 その他』がいい具合にチルできるので、最近またよく聴いている。フリーで聴けるので是非。
 
 
色々とあったような、ないような。そんな4月のハイライトはフジロッ久(仮)のツアーファイナルだろうか。ホーン隊等のゲストを迎えた編成。音の豊かさとパンクの熱量が心地よく混ざり合う至福の空間。「はたらくおっさん」でスーツ姿の男がダイブしている光景にグッとくるなど。お金がないのにライブアルバムを購入してしまった。閉演後、会場に流れていた「CRYまっくすド平日」のフルverが良さげだったので、来月の楽しみである。忙しく、消耗し、音楽に触れる時間も少なくなっていた時だったので、「やっぱこれだよな!」という満たされた気持ちで帰宅。
 
木尾士目の漫画を幾つか読んだりして、そういやもう卒業だよなあ、とかぼんやり思ったり。新歓期に新入生に4年生だと名乗るだとか、卒業アルバムの写真を撮るだとか、終わりを意識する瞬間が確実に増えてきた。残りの日々を楽しむことを「頑張る」ってのも変な話だとは思うけれど、出来るだけイベント事には顔を出すようにしている。人と会うこと、話すことの重要性を実感することが多い。
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久しぶりに映画をゆっくり観られる時間を確保できそうだったので、いくつか映画を借りることにした。中でもヒットしたのが、先日友人と話していた時に「今の時期に丁度いいんじゃないか」と勧められた『キッズリターン』。これがもう今の自分の心のど真ん中に突き刺さってしまい、久しぶりに心がざわついた。様々な人の人生を描いた群像劇的な側面も個人的に好きな部分だ。『思い出のマーニー』が良かったので、かなり久しぶりに『魔女の宅急便』を観る。キキの父親の「どれ、私の小さな魔女を見せておくれ」というセリフから始まる一連のシーンになぜか泣く。ラジオから「ルージュの伝言」が流れ出し、月をバックに箒で空を飛ぶキキの姿とタイトルが画面に映し出される、あのオープニングはいつ観ても良い。特に『千と千尋の神隠し』辺りまでのジブリ作品は、子供の頃に何度も繰り返し観てたりすることもあって、やっぱりどうしても好きなのだ。アニメーションとしての動きの豊かさだったり、丁寧に作り上げられた世界観だったり。そういえば『甲鉄城のカバネリ』のヒロインはジブリ感あって良いと思う。本編はそのうち観る。
 
金銭的に苦しいため最近めっきり音楽を追えてなかったのだけれど、タワレコのポイントが溜まっていることを思い出し、何を買うか散々迷った末、homecomingsの新譜を購入。以前シングルとして発売されていた「HURTS」同様、日本語訳の歌詞が素晴らしく、歌詞カードを眺めながら聴きたいアルバムだ。他にもツタヤで10枚ほど最近のアルバムを借りた。聴かず嫌いしていた(別に嫌っていたわけではないけど、手が伸びなかった)大森靖子の新譜が良い。メロディはとっつきやすいし、歌詞もハッとするものが多い。特に表題曲の「TOKYO BLACK HOLE」が好きだ。ちなみにこの曲は田渕ひさ子がギターを弾いているらしい。
歌詞が良いのだ。
街灯
はたらくおっさんで ぼくの世界がキラキラ
人が生きてるって ほら ちゃんと綺麗だったよね

夜の海
水面をうつろう光に飛び込め
この街は僕のもの

色々あるけれど、目の前のことを着実に。

2月22日、朝

飲み会で終電を逃し、友人宅に泊まった翌朝。帰宅途中、空腹を覚えて近所のデニーズへ。すぐに帰りたくない気分だったので丁度良かった。平日の午前ということもあり、周りは暇を持て余した老人ばかり。

朝食で腹を満たし、ぼんやりとした頭で昨日のことを思い返す。こんな時、いつもなら真っ直ぐに帰宅して眠りについてしまうので、こうやって反芻するのは珍しい。自分の日常へ戻っていく感覚、寂しさに似た感覚が体を支配していく。なんだかやけに人恋しくなった。昨日何か特別なことがあった訳でもないのに。我ながら不思議だ。 

これまた何故だか分からないけれど、この曲を聴いていて泣きそうになった。

そんな具合に小一時間ほど過ごした。
朝のファミレスでひとりぼんやりする時間が結構好きなのかもしれない、と最近思う。

それだけ。

過去を振り返ることと最近のことと

先日、自分のこのブログを読み返すことがあった。昔を振り返る作業というのは、恥ずかしさと後悔を伴うものだけれど、とても尊い。幼稚園から小学校低学年にかけての時期に絵日記をよく書いていて、昔はそれを読み返すのが好きだった。黒歴史だなんて言葉があるけれど、自分はあまり好きではない。昔自分が好きだったものを否定する人なんかもよくいるが自分はそれをしたくない。恥ずかしく辛い過去の出来事もなかったことにするのではなくて、そんなこともあったよねと笑って話せたらいいなと思います。とまあ前置きはこれくらいにして、要するに久しぶりにブログを書きたいと思い、これを書いているという訳です。

今年の年末年始は久しぶりにゆっくりすることができたので、普段あまり見ないテレビを見たりして、寝正月を満喫した。正月休みの最後の日、友人に『ハッピーアワー』を観に行こうと誘われたが、寝坊のため間に合わず。こんな機会でもなければ5時間ある映画を観ようとは思わないので、とても惜しいことをしたなという気持ちと、めちゃくちゃ申し訳ない気持ちで一杯だった。正月休みが終わって最初の週末、サークル同期の飲み会があった。楽しさのあまり飲み過ぎてしまい、翌日のバイトは近年稀に見る酷さだったけれども、それだけの価値がある一夜だった。そんなこんなでゆっくりした日々を送っていたのだけれど、次第に期末レポート、期末試験といったワードがそんな自分を攻め立ててくる。冬休みをだらだらと過ごしたツケによりレポートに追われ、試験の準備もままならないまま試験期間を迎える。自業自得の一言に尽きるのだが、基本的に全て一夜漬け、睡眠は細切れで2、3時間という地獄のような1週間を過ごすことに。体調を崩さなかったのが奇跡的だ。
 
そうそう、冒頭の昔を振り返るという話に少し戻るのだけれど…。
湖に浮かべたボートをこぐように
人は後ろ向きに未来へ入っていく
目に映るのは過去の風景ばかり
明日の景色は誰も知らない
これは試験勉強中、ルーマンの時間概念というものについての文章を読んでいたときに出てきたポール・ヴァレリーの詩だ。ルーマンによると我々の体験する時間は物理的に観測されるそれとは逆に存在している、つまり、我々の体験する時間は現在を起点に過去を再構築しているにもの過ぎないのだそうだ。簡単に言ってしまうと、人は未来ではなく過去を見て生きているらしい。この考え方自体も気になったのだけど、それ以上に余談程度に触れられた詩がやけに印象に残ったのだった。ポール・ヴァレリーの詩といえば風立ちぬの詩しか知らないので教養的な意味でも詩集を何かしら読みたいな、という気持ち。
 
Galileo Galilei解散を知り、昔の曲なんかを聴いていると懐かしい気持ちに。閃光ライオット出身のバンドといえば、The SALOVERSも活動休止してしまったし、少し寂しい気持ちがある。

懐かしいモードに入ったので試験勉強の合間に休憩がてら「私を構成する9枚」をやろうかと思ったが、やはりNUMBER GIRL銀杏BOYZあたりは入るよな小学校の先生が聴かせてくれたブルーハーツのアルバムも入れるべきか、などと考えていたら、休憩と呼ぶには長すぎる時間が過ぎてしまい断念自分のルーツがどういった所にあるのか再確認するいい機会ではあった。以下候補に挙がったアルバムをいくつか。
 完全版「バンドBについて」

完全版「バンドBについて」

Demon Days

Demon Days

Nino

Nino

Doolittle

Doolittle


木曜、試験のできなさに落ち込みながらも渋谷に立ち寄りNUMBER GIRLのアナログ盤3枚を購入。ふとソーキそばを食べたい気分に。そんな気分になんて早々なるもんじゃないので、おそらく先日バナナTVの沖縄編を観たばかりだからだろう。年末あたりから自分の中でバナナマンが軽くブーム。センター街の沖縄そば店へ。ソーキそばを食べるのなんて、小学生のとき家族で沖縄旅行に行ったとき以来じゃないだろうか。また沖縄行きたくなってきた。

 
翌日、最後の試験。たいして重い内容でもないのに、それまでの流れで徹夜をしてしまう。眠気覚ましのコーヒーを飲みながら早朝のニュースを見ていると、雪の予報が目に入る。先日の雪の日のようなことになっても嫌だし、そもそも天気の悪い日に満員電車に乗るのが億劫だったので、早めの電車に乗って大学へ。満員電車に乗らず、時間的余裕もあり、自分でも驚くくらいに心は澄み渡っていた。普段からそうありたいものだ。大学前のガストで朝食を済ませる。無駄に徹夜しただけあって勉強の方はバッチリだったので、音楽を聴きながらその日2杯目のコーヒーを飲み、穏やかな朝を満喫していた。「私を構成する9枚」がきっかけで試験期間は懐かしいものをよく聴いていたのだけど、毛皮のマリーズの『ティン・パン・アレイ』が冬の朝によく合う。

ティン・パン・アレイ

ティン・パン・アレイ


 試験後、早く横になりたい気持ちを抑え、バッキバキに割れたiPhoneの画面修理のため渋谷のapple storeへ。店員の振る舞いとか雰囲気を見て、「あぁ、めっちゃappleっぽいなー」と思った。試験が終わり、iPhoneも綺麗になって清々しい気分で歩いていたのだが、駅前に立っていた男に理不尽な理由で絡まれ、非常に嫌な思いをした。単純に自分が絡まれて不快だったということもあるけど、こういう出来事は、ムカついたから隣人を殺したとか、ジロジロ見られたから子供を殴ったとか、ニュースでよく見るそういう世の中の汚い部分を直に見た気がして嫌なのだ。そんなことがあったからなのか、暫くまともに寝ていなかったせいか、頭の中がモヤモヤした状態で眠りについた。どちらかというと嫌なことがあっても一晩眠れば回復するタイプなので、翌日はスッキリと目覚める。時計は午後4時前を示していた。前借りしていた時間を返しているのだと考えれば妥当なんだけど、起きて一番に見るのが暮れゆく空だったときの喪失感は相当なものだ
 
土曜、日曜と連日のバイトをこなして迎えた月曜日。久しぶりの何もない日。バイトもないし勉強もしなくていい。惰眠を貪った後、録り貯めていたものを消化する。『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』を観た。『横道世之介』のときもそうだったけど、純粋というか素朴というか、高良健吾の演じるこういう役がかなり好きだ。アジカンの「Re:Re:」の再録ver.が主題歌という話題につられて観た『僕だけがいない街』がかなり面白かった。原作をスルーし続けていたけど、これを機に読んでみたい。モヤさまではバイト先の店が紹介されていた。近所のことなのに知らないことが多いなと思いながら見ていた。そしてその夜、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の3話を観る。リアルタイムでドラマを観るのなんていつぶりだろう。アルプス一万尺、人身事故の話、道端に咲く花の写真などなど。コンサート会場の外でのシークエンス、ちょっと良すぎじゃないだろうか。このドラマが1週間の楽しみになりそうで嬉しい。そのままの流れでスマスマを観る。シングルメドレーライブなるものの再放送だった90年代後半あたりの無敵感凄い。「夜空ノムコウ」を聴きたくなって『SMAP 012 VIVA AMIGOS!』を引っ張りだしてきた。大学1年の頃に友人の家でこのアルバムを初めて聴き、SMAPの曲ってこんな良いんだと思ったことを思い出した。「セロリ」の後だからか分からないが、「ひと駅歩こう」とか「言えばよかった」でのキムタクの歌い方が山崎まさよしっぽくてかっこいい。

SMAP 012 VIVA AMIGOS

SMAP 012 VIVA AMIGOS


ところでもう雪は降らないのだろうか。あの雪の日を境に本格的に冬になったと思ったら、その数日後は春を感じさせる暖かさだったり、降る降ると言っておきながら結局降らなかったり。冬は苦手だけど、身を切られるような寒さを感じることが少ないと、それはそれで物足りなさを感じてしまう。雪が降った日の、どこか落ち着かない、騒ついた街の雰囲気が意外にも好きなのだ。あと1回くらいは降って欲しいところだ。

シャムキャッツ『素晴らしい日々』

シャムキャッツのワンマンツアー『素晴らしい日々』の東京公演を観に行った。春の『TAKE CARE』リリースツアー以来。ツアー名からして良い。
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何気に渋谷クアトロでライブを観るのは初だった。交換したドリンクを飲みつつ、あれが噂の柱か、なんてことを考えながら会場を眺めていると暗転。個人的に好きな「FOOTLOOSE」からのスタートに胸の高まりを抑えられず。セットリストを構成するのは新旧織り交ぜた楽曲たち最近の曲はもちろんのこと、昔の曲もしっかりアップデートされている感じがした。「魔法の絨毯」に思わずグッときたり、すっかりアンセムになった「MODELS」から「なんだかやれそう」への流れに心踊らせたり。新曲の「おはよう」も、次を期待させる出来だった。 
 
シャムキャッツのライブを観ていて思うのは、本当に楽しそうにライブをするということ。今回もそんな場面が多々みられた。柵に飛び乗る夏目さんと、それに倣って続く菅原さん。外れたライトをギターのストラップにつけて演奏したり、はしゃぎ過ぎて肩をつらせたりアンコールが終わり去ったかと思えば、拍手も鳴り終わらないうちに「もう一曲やりたいねってなって、すぐ戻ってきました」と言って出てきて「SUNNY」を演奏。そして抱きついたり、じゃれ合ったりしながらステージを去ってゆく。まるで少年のような無邪気さだ。かと思えば「Choke」などで垣間見せる大人の色気。飾らない飄々とした佇まいも大好きだ。シャムキャッツは最高のロックバンドだよ、とつい言ってしまいたくなる。
 
終演後、素晴らしい日々はこれからも続くのだと言うかのように、会場にはオザケンの『LIFE』の楽曲が流れていた。会場の空気やバンドのノリ等全て含め、今年の締めくくりに相応しい本当に素晴らしいライブだった。週の始まりに良い活力を貰えた。
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前売り券の特典DVDと、初期DEMO音源集『素晴らしかった日々』もしっかりゲットしてきた。レコーディング、移動中の車内、ライブ前後の楽屋。バンドのそういった風景を見るのが好きだ。バンドって良いなと思わせてくれる。そんな瞬間がこの映像にもしっかり収められている。肝心のライブの方も「アメリカ」が滅茶苦茶カッコいいし、「何度恋すれば良いんだろう、シャムキャッツ(映像から引用)」って感じだ。菅原さんの「バンドマンだ俺は!」で終わるのも良い。
ジャケットに象徴されているように、いろいろ魔法の絨毯に乗せてどっか行けたらなって思っております。何を乗せて行くのかはこれを聞いてもらえればわかるかと。そうそう、つまりれ、昔を振り返るノスタルジックCDじゃなくて、次どうしようか、面白くしたいよねえ〜っていう準備なので、そこらへんよろしくお願いします。

音源集の方はといえば、『素晴らしかった日々』なんてタイトルだけど、夏目さんのブログによるとこういうことらしい。シャムキャッツの今後に期待せざるを得ない。