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アニメ『リトルウィッチアカデミア』 -好きなものを好きだと言うこと-

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リトルウィッチアカデミア』は、アニメミライという文化庁による若手アニメーター育成プロジェクトの一環でTRIGGERによって制作された、30分ほどの短編をその発端とする。その後クラウドファンディングを経て、劇場版である『リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード』が公開。そして現在放送中のテレビシリーズに続くという流れだ。今年の正月休み、テレビシリーズ放送に先駆け、前二作品をNetflixで観賞(Netflix万歳!)。その素晴らしさに興奮していた。

タイトルからも分かるように、本作は魔法をテーマにした作品なのだけれど、そもそも、静的であるはずのものを動かす、という点において、魔法というテーマとアニメーションという手法の親和性は非常に高いのだ。このことは70年以上も前のディズニー映画『ファンタジア』が証明している。箒がバケツを持って歩くあのシーンは、本編を観たことがない人でも知っているのではないだろうか。あれは「魔法使いの弟子」という一編におけるシーンだが、他にも「くるみ割り人形」では、キノコや花といった静物が華麗にダンスを踊る。そのアニメ的快感!今作にもそれがしっかりと息づいているように思う。劇場版、テレビシリーズともに『ファンタジア』のオマージュと思われる箒のシーンがあることから、意識しているのは確実だろう。

トーリーは超王道。落ちこぼれの主人公アッコが、憧れであるシャイニィシャリオのような魔法使いになるため奮闘する物語だ。その眩しいほどの真っ直ぐさというか、純粋さは往年の夕方アニメや休日の朝アニメ、もしくは児童文学のようでもあり、非常に気持ちが良い。(であるから当然、『キルラキル』のようなものを予想していると肩透かしを食らう訳だけれども。)加えてキュートなルックと、TRIGGERらしいハチャメチャ感。観ていてとても楽しい作品だ。

しかし、それだけではない。私がこの作品を好きな理由が他にある。それは、この作品が「"好きなもの"に対する愛や情熱」への賛歌であるということだ。この作品に登場するキャラクターには皆それぞれに"好きなもの"がある。シャイニィシャリオ、ナイトフォール、キノコ、毒物、メカ、お菓子、ピアノ、etc.…。そしてこれらは必ずしも周りから理解されているわけではない。時には「必要のないもの」として扱われる。この「必要のないもの」というのが現代文明における魔法という大きな物語に繋がっていくあたり上手いなぁという感じなのだけれど、それは今回置いておこう。話を元に戻す。アッコが好きなシャリオは魔法界では評判が悪く、その魔法は低俗な見世物だと非難を浴びることもある。それでも彼女はシャリオが好きだと言い、憧れ続けるのだ。そんなアッコのシャリオに対する情熱、もしくはコレクションしていたカードの知識が!ロッテのナイトフォールへの愛が!物語を好転させていく。それはまるで「理解されずとも好きなものを好きであり続ける」、「好きなものを好きだと言う」という行為を肯定しているかのようだ。

まだちっぽけな魔女だけど、夢があるから楽しいよ!
心の中にシャリオの笑顔があれば、世界が虹色に見える!

と清々しいほど真っ直ぐにシャリオへの愛を語るアッコの輝きは、アンドリューの「必要のないもの」として虐げられてきたピアノへの想いを呼び起こす。そうだ、好きを貫く人は超まぶしくて、超素敵で、超かっこいいのだ!

好きなものを好きだと言うことは意外と簡単ではない。それが周りに理解されないものであるなら尚更、その声の多くは、周りからの野次や圧力によって抑え込まれてしまう。しかしそれは確かに尊い行為であり、その声はきっと何処かの誰かに響くだろう。

インターネットもぐもぐさんの言葉を借りるならば、それはまさしく白魔術なのだ。ポジティブな気持ちや発言が世界を良い方へと転がしていく。そんな白魔術を信じる者のひとりとして、この作品を愛さずにはいられないのです。