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日々のこととか

日々のことや好きなものについて

映画『この世界の片隅に』

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もし本作をカテゴライズするならば、ジャンルはおそらく戦争映画になるのだろう。しかし『この世界の片隅に』で描かれているのは単なる戦争の悲劇ではなく、その真っ只中で確かに営まれていた人々の暮らしだ。衣・食・住と、それに伴う日々のなかの何気ない動作を、充実したディテールの数々と非常に丁寧なアニメーションでもって表現することで、生の喜び、美しさを描き出す。豊かな日常動作の描写は、冒頭の重い荷物を壁に押し当ててから背中に背負うシーン、手を擦り合わせ、息を吹きかけ暖めるシーン、包丁とまな板をバイオリンに見立て、演奏するかのように切った食材を釜に入れるシーンと、例を挙げれば枚挙に暇がない。

本編の構成(特に前半)は基本的に少し笑えるエピソードの連なり(実際に劇場でも何度も笑いが起きていた)なのだけれど、それ故に、これから起きる誰もが知っている悲劇が強く意識されてしまう。これは反対に、我々がこれから起こる悲劇を知っているからこそ、そこで営まれている生活がかけがえない、美しいものに感じられるとも言える。そんな訳で、恥ずかしながら全編通して目を潤ませていたのだけれど、とりわけ好きなのが終戦日の夕飯のシークエンスだ。タンスにしまっておいた米を取り出したサンの「明日も、明後日もあるんだから」というセリフと、それに続くすずの「この先もずっと続いていく」という心の中の語りは、現代の我々の暮らしとの繋がりを意識させてグッときてしまうし、遮光カバーが外され、食卓の灯りが街にひとつ、またひとつと灯っていく様はどうしたって泣けてしまう。

他にも、すずが右手を失った際の背景の演出だったり、かなとこ雲とキノコ雲の連想だったり、コトリンゴの歌がめちゃくちゃ良いことだったりと、色々あるのだけれど、兎にも角にも大傑作。監督や原作者、製作陣の方々はもちろん、クラウドファンディング出資者の方々に感謝である。比べるわけではないが、同じアニメ映画である『君の名は。』の大ヒット同様、本作も多くの人に観られて欲しいと思う。

三田祭のこと

三田祭が終わってから1週間程。祭りの後の寂しさを覚えながらも、連続のバイトなどでなんとなく誤魔化しつつ日々が過ぎていた。この1週間に一度もスタジオ練習がなかったことを思い、もう終わったんだな、と改めて実感する。なにか大きなことに対して長い期間をかけて準備をすることも、その後に訪れる空虚感も、高校生の頃以来でなんだか戸惑う。 

ステージの感想は、ただただ楽しかったの一言に尽きる。泣くかと思っていたけれど、楽しさが圧倒的に勝っていた。あの時見た光景は多分ずっと覚えていると思う。個人的な演奏面では、悔いがないというと正直嘘になる。自惚れかもしれないけれど、もっと上手くやれたと、とても悔しいと、そう思う。けれど色んな人と話をするなかで、良かったと言ってもらえたことだったり、誰かのなんとなく発した一言だったりに救われた気がする。

 最終日の打ち上げでは、役員の引退もあり、来年のステージの話もあり、そろそろ卒業なのだと思うと同時に、「ああ、こうやって続いていくんだな」とぼんやり思うなど。来年以降もたまに顔を出せたらいいな。

何はともあれ準備期間から本番、打ち上げまで、全てがとてもいい時間だった。心からそう思う。感謝!!

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映画 『青春デンデケデケデケ』

大林宣彦監督の『青春デンデケデケデケ』を観た。傑作だ。

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ラジオから流れてきたThe Venturesの「Pipeline」のデンデケデケデケというイントロに衝撃を受け、ロックに目覚めた男子高校生がメンバーを集めてバンドを結成。友情や恋、家族や先生、そして将来のこと。高校3年間における青春のあれこれとバンド活動を描いている。とまあストーリーは潔いほどにど真ん中を行く、全くもって普通の青春映画である。でも何故か、よくある話だよねで済ませたくはないのだ。時折顔を見せる大林監督の普通ではない演出が、ちょっとしたスパイスになっているのだろうか。頻出する、橋の上を自転車で走る主人公 (達)を遠くから捉えたシークエンスはやはりたまらないし、久石譲の音楽もよい。初々しい浅野忠信(まだ10代!)も見どころだ。

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近年における高校生のバンド生活を題材にした作品のひとつとして『けいおん!』が挙げられるが、誤解を恐れずに言うのならば、『けいおん!』はまさに現代の女子高生版『青春デンデケデケデケ』なのだ。楽器を買うためのアルバイト、バンド名会議、練習場所探し、合宿、文化祭前夜の学校に泊まり込み、といった共通するエピソードを見るに、時代や流行が変われど、変わらないものはあるらしい。

この映画で重要なのは、青春の輝きのうちに物語が終わるのではなく、”まつりのあと”が描かれている点だ。文化祭が終わった高3の冬、それぞれが自分の道を進み始める。主人公である藤原竹良(ちっくん)以外のメンバーは、ほとんどが家業を継ぐため街に残るが、ちっくんは東京の大学に行くこととなる。周りが先へと進む中、バンド活動に対する未練、自分の進路への不安を抱えるちっくん。思い出の地を巡り、過ぎ去りし日々に思いを馳せる。鍵のかかった部室の前で、「(部室の鍵はもう下級生に譲り渡してしまった。)したがって僕には入れない」と繰り返しつぶやく。そして文化祭で演奏をした体育館にひとり立ち、「みんな終わってしまったのだ」と青春の有限性を噛み締めるのだ。そんな彼の背中を押すために、メンバーは終身バンドリーダーの称号を贈る。これは、事実上の解散になっても、活動を続けなくなっても、「ロッキング・ホースメン」は在り続けるのだという証だ。(ちなみに先述の『けいおん!』では、「天使にふれたよ!」という曲でもって、卒業する4人が残された1人の後輩にこれからも仲間であり続けることを伝える。)嫌でもやって来る”まつりのあと”の寂しさに対してどうケジメをつけ、どう進んで行くのかが大切なのだ。

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青春はいつか終わる。「この時間がずっと続けばいいのにな」という願いは叶わない。別れを告げ、先に進まなければならない。けれど、きちんと胸に刻んでおきさえすれば、仲間と過ごした輝かしい日々はずっとそこに在って、触れることだってできる(本作の語り手である未来のちっくんがそうしているように)。そして、愛した音楽は永遠に鳴り続ける。

これから先の人生で、どんなことがあるのか知らないけれど、愛しい歌の数々よ、どうぞ僕を守りたまえ。

東京に向かう電車内での、ちっくんのこの祈りはどうしたって泣けてしまう。

 

【補足】

原作者の芦原すなおさんは作家活動とは別に、The Rocking Horsemenというバンドで音楽活動を続けており、今年で25週年を迎えるというから素敵じゃありませんか!ちょうど原作小説を世に出した後、このバンド活動を始めている。青春はいつか終わってしまうけれど、一度きちんと終わらせれば、またいつでも始めることができるのだ。どうやら青春に年齢は関係ないというのは本当らしい。

去る夏の備忘録

夏の終わりに寂しさを感じつつも、新しい季節の始まりは、新章突入!って感じでワクワクする。雨ばかりなのは少し憂鬱だけれど。肌寒く感じる日が多くなると新しい服を買いたくなる。夏休みも終わって丁度いい区切りだと思うので、最近のことを書いていこうと思う。一応このブログには備忘録としての役割をもたせているつもりなのだけれど、スパンが空きすぎて結局色々なことを忘れていってしまう。とりあえず覚えていることだけ。f:id:taka_71:20160923224025j:image

 

9月頭、サークルの合宿で軽井沢へ。毎年恒例のイベントは時の流れを強く意識させられる。3年前を思うと、周りの環境だけでなく自分もだいぶ変わったと感じる。4年目ともなるといい意味で無責任になるもので、好き放題やった、という表現が1番しっくりくる。全然話したことのない後輩と話したり、なんとなくみんなで歌をうたったり、花火で無駄に騒いでみたり、色々なことがあったなあと、写真を見返したりしてしみじみ思う。こういう記憶が毎日繰り返すだけの日々の拠り所になるのだなぁ。

 

合宿からこっちへ帰ってきて、その暑さにうんざりする。今となっては少し恋しい。なんとなく気分だったので久し振りに読書をする。買ったまま読んでいなかった、柴崎友香きょうのできごと』。まず表紙が良い(ハードカバー版)。何気ない描写やセリフがグッド。ジム・ジャームッシュ的で好きだ。後日映画の方も観たが、そちらはまあまあという感じだった。監督が参考にしたという『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は、ディスクの不良でちゃんと観られなかったのと眠かったのとであんまり。その夜、レイトショーで『君の名は。』を観に行く。過去と未来、夢と現実。時間と空間の境界が曖昧になっていき、あり得ないはずの出会いを引き起こしてしまう。素晴らしきボーイミーツガール。『思い出のマーニー』のフィーリングを想起した。音楽や演出のクドさだったり細部の粗さだったりはあるけれど、この際野暮なツッコミはナシで。後日監督の前作『言の葉の庭』を観たことで、さらに今作の評価が上がった。理由はアニメーションとしての動きの豊かさ。自分のアニメの原体験がジブリにあったり、GAINAX作品が好きだったりすることから、アニメを観る際に「動」という点をかなり意識してしまう。その点この監督の作品は、綺麗な画だなと思うことは多いけれど、「動」の部分に関しては乏しいと感じる(他の作品は観ていないので違ったらごめんなさい)。それが今回は「走る」といった単純な運動だけでなく、表情も豊か。視覚的快楽が付加され、物語にドライブ感を生み出している。様々な部分で大衆性を獲得し、それが良い方に作用していると感じた。みんながどんな感想を抱くか分からないけれど、僕は好きです。映画館から出ると、外の空気は雨のせいでジメッとしていたけれど涼しく、家まで歩いて帰る道はなんだか気持ち良くて、いい夜だなと思った。

 

先月『It Follows』を観て、監督の前作『アメリカン・スリープオーバー』を観たいと思っていたところに、上映の知らせが。ナイスタイミング!観に行くしかなかろう、ということで下北沢のトリウッドにて観賞。これほど小さい所で映画を観るのは初めてだったので、なんとも新鮮な体験だった。また観たいのでディスク化を希望する。エンドロールに流れたThe Magnetic Fieldsの「The Saddest Story Ever Told」がめっちゃ良い曲だった。歌詞の和訳になんだかグッときてしまった。この曲をhomecomingsがカバーしているの、めっちゃしっくりくる。

 週末、バイト先の人たちとお酒を飲みつつ焼肉を食べる。仕事以外ではあまり話さない人もいるのでこういう場は新鮮だ。この辺りは、合宿終わりの焼肉から連続して二郎系ラーメン、焼肉、飲み会、ステーキ、飲み会といった日々で、胃の負担がとんでもなかったけれど、体に悪いことってのはどうしたって楽しいもんだ。バイト終わりに行ったステーキガストでは、友人に「もう少ししたら健康のことも気にしないといけなくなるし、そもそも体が受け付けなくなるし、こんなに何も気にせずバカみたいに食べられる期間はそう長くない」というようなことを言われ、確かになあ、と妙に納得してつい食べ過ぎてしまった。

 

翌週はサークルのライブが2つあった。こういうのも残り少ないと思うと行かずにはいられない。スーパーカーをコピーしているのを観て、久しぶりに聴いてみる。やっぱり自分はこの辺りの時代のバンドが好きみたいだ。最近よく聴いていたシャムキャッツの曲と名前繋がりで「My Girl」を1番聴いた。

2つ目のライブがあった日の午前中、友人がfilmarksに投稿していたレビューを見て気になった『恋人たち』を観る。朝から観るには少々重かったけれど、久しぶりに心震える映画を目の当たりにしてしまった。その凄さを上手く言語化できないのが歯がゆい。その友人のレビューを紹介したいくらいだ。週末はこれまたサークルのイベントで、結果昼過ぎからお酒を飲み続ける1日になったけれど、楽しかった。終電を逃し、後輩の家で一夜を明かす。一人暮らしの人の家に行くと、自分も一人暮らしをしたくなるのはなんでだろう。

 

最近はひとりの時間に映画ばかり観ていたので、ゲームや漫画に対する欲が高まりつつある。PS4が値下げされたことだし『ペルソナ5』とか、発売されたら『人喰い大鷲のトリコ』とかもプレイしたい。『UNDERTALE』も気になる。最近読んだ漫画は衿沢世衣子の『うちのクラスの女子がヤバイ』くらいだろうか。漫画といえばこち亀の連載終了だ。自分はそんなに読んでこなかったので特別思い入れはないが、小学生の頃、週末の夜といえば土曜のめちゃイケ、日曜のこち亀、ワンピースだったのだ。長期連載していた漫画が連載終了という話題を聞くたびに、昔よく聴いていたThe Mirrazの「ただいま、おかえり」という曲を思い出す。ワンピースはまだ終わりそうにないけど、ジャガーさんは終わってしまったし、『NARUTO』も『BLEACH』も終わってしまった。『HUNTER×HUNTER』はいつ終わるのだろうか。

 夏休み最後の週はなんとなく過ごしていたら終わってしまった。ついにNetflixに登録したので『ストレンジャー・シングス』辺りから手をつけていきたい。履修の確認やら部屋の片付けやら、身辺整理をする。家の中を片付けていると、昔のものが次々と出てきた。昔作った玩具、入院していた時期の手紙、好きだった漫画のキャラのキーホルダー、高校の文化祭や体育祭で忙しくしていた頃の手帳。なんだかタイムカプセルを掘り起こしているみたいでワクワクした。そしてそれらを見つける度に、当時のことが鮮明に、嫌というほど思い出されてどうしようもない気持ちになる。どこか特別に感じた今年の夏のこともきっといつか忘れていってしまうのだけれど、写真、音楽、映画、本、食べ物、場所、言葉、誰かの仕草、そういったものをきっかけに突然鮮明に思い出されて、僕らの胸を時に刺し、時に温めてくれるだろう。

兎にも角にも、学生最後の夏休みが終わった。だからなんだという訳でもないけれど、とりあえずおつかれサマー。

夏休み前半のこと

ゲリラ豪雨やら台風やらで雨の日が多くてなんだかなあ。夕立という言葉、なんとなく好きだったのであまり聞かなくなってしまって少し寂しい。夏の雨といえば、小学生の頃に遭遇した通り雨のことを今でも覚えている。向こうから雨がやって来てひと通り僕らを濡らした後、1分もしないうちに通り過ぎて行ってしまうという、まさにといった感じの通り雨だった。一緒にサッカーをしていた友人たちと「なんだ今の…すげぇ…!」なんて言いながら、初めて体験した自然現象に対する感動を共有し、はしゃいでいた。こういった気持ちを忘れないでいたいものだ。歳をとるにつれて感性が錆びていくような気がしてならない。

 今年はオリンピックの影響もあってスポーツを観ることに対してのモチベーションが高まっている。甲子園もたまに観たりしていた。そして今まさに甲子園の決勝を観ながら、今年の夏も終盤だなーと思いこの文章を書いているわけだ。

 夏休み前のテスト期間。単位に関する漠然とした不安だったり、教科書を間違えて購入したことによる余分な出費だったりで消耗する1週間だった。全て後手後手に回ってしまっていたのが良くなかった。無駄に買ってしまった教科書は先日ブックオフに持って行ったが、1/10以下の値段にしかならなかった。惨敗。試験期間中にたまたま耳にした口ロロの「いつかどこかで」という曲がたまらなく良かったので、試験最終日にツタヤで未聴だった『everyday is a symphony』より後のアルバムをレンタルした。前から好きではあったが、最近より好きになってきた。流行りに乗っかりポケモンGOを始め、ぼちぼち続けている。先日野生のカイリューを捕まえたときには少年のようにはしゃいだ。このアプリの良い所として地域の再発見という点が挙げられるが、かくいう自分も、家から少し歩いた所にベルリンの壁の一部が飾られていたことをプレイしていて思い出したのだった。テスト期間はメンタル的にしんどかったが、週末は三田祭に向けての準備もスタートし、気持ちよく夏休みに突入。

 夏休みに入り、予定の何もない日が何日かあったが、金欠という事実が足枷になり、何をするにも積極的になれない。新譜を買う余裕がなく、apple musicに登録。今まで登録していなかった理由は、無料期間中も選択肢が多すぎて逆にあまり聴かなかったってのと、単純になんとなくフィジカルな方が性に合う(これは単なる慣れの問題だと思う)ってのがあったのだけど、今現在時間に余裕があることもあり、色々漁って聴いている。当初の目的だったザ・なつやすみバンドの『PHANTASIA』は約束された名盤という感じで、リピートしている。この夏のサウンドトラックに決定。先日のインストアライブもとても良かったので、ワンマンに行こうか悩み中。

最近購入したのはシャムキャッツの『マイガール』とフジロッ久(仮)のライブDVDだけだ。『マイガール』は曲はもちろんのこと、付属のドキュメンタリー映像が良いのだ。元よりバンドのドキュメンタリーを観るのが好きなのだけど、軽いブームが自分の中に来て、色々なバンドの特典映像などを観返すなどしていた。フジロッ久(仮)のライブDVDは、観に行った当時就活中だった事もあって個人的に特別なライブなので、なかなか来るものがあった。

いくらお金がないとは言え、一日中家にいてやる事もないって状況は結構しんどいので、映画を幾つか観る。『COP CAR/コップ・カー』が面白かった。序盤の子供2人のバカらしいやりとりで心捕まれた。ラストシーンは好きすぎてエンドロール後にもう一度観た。踏み込むアクセル、暗闇を疾走するパトカー、少年の表情、遠くに見える街の灯り、鳴り響くサイレンの音と赤と青。あー映画だー!これだよこれ!という感じ。新しいスパイダーマンも期待せざるを得ないなー。ホラー映画は普段あまり観ないジャンルだけれど、評判が良かったので『It Follows』を観る。これまたいい映画だー。ビックリさせるタイプよりはジワジワ怖いタイプのホラーで自分好みだし、アトラクション的な中身のないホラーではないし傑作。愛と生と死と青春と。こうなってくると監督の前作も観なければ。あとは『学校の怪談』を観てノスタルジーに浸るなど。話題の『シン・ゴジラ』は映画館で観ておきたかったので、先日劇場へ。口から熱線を放射するときの顎の裂ける感じとか、ゴジラが禍々しくて良かった。

 何をするにもお金だ。shut up boy! hey baby, workin' 金を稼げ!てな具合にバイトに勤しむ毎日である。お金がないお金がないと嘆いているが、そもそもの原因は遊びの予定のために貯金しているからであって、好き放題というわけにはいかないが、それなりに遊んではいる。先日築地に行った際には、美味しい海鮮丼を食べるなどして散財した。やはり遊ぶときにケチるのはつまらない。バイトの人たちとの飲み会では、今年から社会に出た先輩と送別会振りに会ったりして、時の流れを感じた。高校の同級生が野球だったりテレビだったりで活躍している様子を見たり聞いたりして、すげえなぁと単純に関心すると同時に懐かしさを覚える。全然会ってない人とも久しぶりに会って、近況報告などしたい気分だ。 そっちはどうだい、うまくやってるかい?

 先週はサークル同期の友人達と恒例の旅行へ。仲の良い人達と過ごすのに内容なんて何でも良かったりはするのだけど、今回はラフティングを初体験することができて満足だった。2日間の思い出は仲間内で共有しているし、わざわざ詳細に述べるまでもないだろうと思うので、簡潔にただただ楽しかったと書いておく。

 学生最後の夏だからといって何か特別なことはしていないし、いつも通りの夏休みを過ごしている。社会に出ている人たちは「好きなだけ遊べるのは今のうちだけなんだから、ダラダラ過ごしていたら勿体無いよ。」と言う。就活中もよく言われた。確かにそうだけれど、ダラダラ過ごせるのも今だけだし、それはそれで良いんじゃないだろうか。無理して特別なことをする必要もなかろう。自分の好きなように過ごすだけだ。とは言いつつ、少し勿体無いような気もするので、普段絶対にしないことをしてみても良いかもなと思っている。せいぜい一人旅くらいのものだけれど。

 甲子園の決勝中に書き始めたはずなのに、途中で放置してしばらく経ってしまった。本当にすごい速さで毎日過ぎて行ってしまうので、油断せずに夏休み後半戦へ。

野良猫とお婆さんの話

近所の公園には一匹の黒い野良猫が住み着いている。もう少し前はもっと何匹もいたような記憶があるのだけれど、最近はその一匹しか見ない。そいつの左耳は少し欠けている。恐らく喧嘩でもして怪我したのだろう。猫は割と好きなのでコミュニケーションを取ろうと試みたことも何度かあったが、近づくとすぐに逃げ出してしまう。そういや見た目も孤高の人ならぬ猫という感じがしなくもない。

しかしそいつにも気を許す人がいたようだった。おそらくこの近所に住んでいるお婆さんだ。いつも同じ場所、公園の側のコンクリートの腰掛け。そこで彼女が膝の上にその野良猫を乗せ、何をするでもなくぼんやりと辺りを眺めている姿をよく目にした。雨の日に傘をさしながらその野良猫にタオルケットを掛け、膝に乗せている光景を見たこともある。水や餌を与えたりもしていたようだ。互いに互いを必要としているという感じだった。

それがどうしたことか、いつもの時間に通りかかってもその姿が見えない。野良猫は相変わらずそこにいて、一人寂しそうに佇んでいる。そんな日がしばらく続いた。普段特別意識したことはなかったけれど、見慣れない光景になんとなく落ち着かなさを覚える。彼女に何かあったのだろうかとか、その野良猫はちゃんと食えてるんだろうかとか、色々考えてしまう。全く同じ場所で意地悪そうなお婆さん(完全に偏見)がタバコをふかしているのを見たときは、そのあまりのタイミングの良さ?から、知らないところで何か物語が繰り広げられているのでは、という妄想をしてしまったりした。

そんなくだらない妄想を知ってか知らずか、彼女はある日あっさりと姿を現した。いつもの腰掛けには、あのお婆さんがパートナーと思われるお爺さんと一緒に座っており、その傍らにはあの野良猫が鎮座していた。野良猫の毛並みがいつもより乱れており、やっぱり何かあったのではと思ったが、実際のところは知る由もない。たまたま自分が見かけなかっただけなのか、それとも久しぶりにそこを訪れたのか、結局分からず終いだけれど、やはりこの光景がしっくりくる。安心したような、ちょっとがっかりしたような気持ちを残して、その野良猫とお婆さんを巡る物語もとい勝手な妄想はあっけなく幕を閉じたのだった。

というだけの話。

最近のくらし

 街行く学生たちの制服が涼しげな夏服へと変わっていく。夏の訪れ。日が長くなってきたと感じる毎日だけれど、夏至を過ぎてから2週間以上経っている。ここらへん、現代の季節感とずれてしまっていて、毎度のことながら違和感を感じる。

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バイト先の先輩から自転車を貰った帰り道、近所を軽くサイクリングした。坂道を立ち漕ぎで登って汗ばんだ体を、坂道を駆け下りていくときの風が撫でていく感覚がやけに懐かしく、たまらない気持ちになった。というのも自転車に乗るのは、大学一年生の夏、趣味を通じた友人らと鎌倉に泊まり込みで遊びに行った時以来なのだ。ふとした思いつきで宿の自転車を借り、鎌倉から江ノ島まで行ったのだった。その時の、山道を抜け、海岸沿いの道に出たときの開放感を思い出した。久しぶりに触れる空気、感覚が昔を思い出させる。季節の変わり目は特に。

先日誕生日を迎えた。20歳になるまでは多少なりの喜びなんかもあったわけだけど、今となってはただ数字が増えていくだけである。むしろ、その数字に見合っただけの中身ある人間になれているのだろうか、などと考えて不安にもなる。とはいえ、家族や友人から祝ってもらえる、というのはいくつになっても嬉しいもので、ただただ感謝である。誕生日当日の朝は、レポート課題に徹夜で取り組んでおり、最悪の始まりだった。少し仮眠をとり、大学に行きレポートを提出。山手線一周分の睡眠をとって時間を潰した後、吉祥寺へ。夜は井の頭公園でお酒を飲み、久しぶりに会った友人や後輩と話した。結果オーライ良い日であった。

6月はバイトを全然していなかったので、金欠に悩まされる日々だ。なけなしのバイト代も夏休みに向けて貯金しなければならないので、部屋の片付けをしつつ、もう聴かなくなったCDやゲームソフトを集めて売ることで生活をしている。どうせ大したお金にはならないと 思っていたが、今流行っているバンドが昔出していたアルバムの初回盤などはそれなりに高く売れるので馬鹿にできない。昔好きだった物を売ってしまうのは少し寂しいけれど。そうして手にしたお金を手に街をブラブラ。Magic, Drums & Loveや山田稔明のアルバムなど欲しいものは多いが、財布の紐は固く購入には至らず。安く済む娯楽を求めた結果ツタヤへ。100円で名作を観られる世界で良かった。折角だから夏っぽい映画でも、ということで『ウォーターボーイズ』と『学校の怪談2』を借りる。

ウォーターボーイズ

青春映画の金字塔。文化祭。近所の女子校。男子校のどうしようもなくも愛しい感じを思い出してしまう。音楽のチョイスも素晴らしい。何よりテンポが速く、全部で90分ほどなのが最高。そのうちドラマの方も見直したいなあ。

学校の怪談2

少年時代は『USO!?ジャパン』なんかを観て、都市伝説や怪談に心躍らせていた訳だが、意外にもこのシリーズは未見だった。評判には聞いていたが、いやはや素晴らしきジュブナイル映画ではないか。怪談というモチーフの下、少年少女たちの一夜の冒険を見事に描いている。独特なセリフが飛び交う会話劇は、生き生きとしていて面白い。 ポケモンの映画を観に行ったとき、上映前に『学校の怪談4(だったかな?)』の予告が流れて「なんでポケモン観に来てるのにホラー映画の予告を観なきゃならんのだ」と子供ながらに思ったものだが、今思えば少年時代にこのシリーズを観ていなかったことが悔やまれる。

ポケモンの映画といえば、先日『ミュウツーの逆襲』を観たのだった。昔とても感動した記憶があったので、少し期待して観たが、今観ると、正直なところそこまで良いか?という感想だった。我々は何のために生きるのかだとか、人間がポケモン同士を戦わせることについてだとか、同じ生き物同士で何故戦わなければならないのかだとか、子供向けの映画とは思えないテーマを取り扱っている点に関しては面白いと思うけれど、話の構成や展開の仕方の部分で微妙に乗り切れないところがある。上映時間の短さ故であるとは言え、子供向け映画の域を出ていないように感じる(子供向けだからそれで良いんだけれど)。しかし、小林幸子の「風といっしょに」が流れるエンドロールは今観ても心動かされる。同時上映の『ピカチュウのなつやすみ』もついでに観たが、これこそまさに子供向け。こんな夜中に何を観てるんだ俺は、という気持ちになったが、サントラは最高だ。ポケモンの曲には大人の目線が入った曲が多いと感じるのだけれど、子供と一緒に観るであろう大人の心を掴むという意味で上手いやり方だなと思う。あと以前にも書いたけれど、「プール(11才の夏)」という曲が隠れた名曲なのだ。

作曲者の田中宏和さんがこんなツイートをしていたのを先日発見。彼の言う通り、本編では全く使用されていないが、サントラの中で不思議な輝きを放っている。

なつやすみは むちゅうで ぼうけんの まいにちなんだ

こどもたちが あちこちを たからじまに かえてしまうのさ

「ピカピカまっさいチュウ」

個人的にこのサントラCDが纏っている輝きは、ザ・なつやすみバンドの「サマーゾンビー」や「S.S.W. (スーパーサマーウィークエンダ―)」などのもつフィーリングに通じるところがあると感じているのだけれど、気のせいだろうか。

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そんなこんなで、大学の授業をちょろっと受けて、帰りに友達と飲んだり、趣味に没頭したりと残りわずかなモラトリアムを満喫しているわけだが、どこか満たされない気持ちがある。就活も無事終わりを迎えることができ、精神的にも肉体的にも解放されたはずなのだけれど、待っていたのは天国でもなんでもなく、きちんと卒業できるのかという漠然とした不安や、目の前のレポート課題に悩まされる、以前と変わらない日々だ。そんなことは至極当たり前のことだし、本当に大変な人が聞いたらふざけんなと思うだろうけど、新学期や夏休みに根拠のない期待をして、現実にガッカリしてしまうアレのようなものだ。きっと、 酷く悩んだ過去の日々は終わってみれば大したことはなくて、待ち焦がれた未来の日々は始まってみればそれほど輝いていない。そんなものなのだろう。こうやって書くと誤解されるかもしれないが、決して今が楽しくないわけではない。結局はないものねだりなのだ。それに、物足りなさを感じている日々も今の自分には分からないだけで、何年後かに振り返ると眩しいほど輝いていたりするんだろう。きっとそういう風にできているのだ。思い出はいつも綺麗だけど、てヤツだ。